独身が寂しい人に出逢いをもたらす学びと行動

30年を寄り添う人と出会う旅

出会い・婚活

独身を後悔する寂しい40代50代男女に出会いをもたらす3つの習慣

独身が寂しいと感じたら後悔に淀まず出会いを探そう

「独りもんは気楽でいいね」などと、よく家庭に縛られている既婚者が言ったりしますが、はたして40代・50代の未婚者にとって独身は気楽でしょうか?

「独身を続けた先にはどんな行く末が待っているのだろう・・・」

独身者の多くはそんなふうに、折に触れ不安に感じているというのが実際のところだと思います。

もちろん生涯独身を達観し、経済的にも、友人知人との関係性にも不自由しておらず、老後の在り方は十分にイメージできているという方もおられるでしょう。

けれども過半数の方は日々の暮らしに「張合いのなさ」や「寂しさ」を感じながら、将来に漠然とした不安を抱いているのではないでしょうか。

寄り添う赤と青の折鶴

「孤独死」の問題にも象徴されるように、現代は人と人との関わりが加速度的に希薄になっています。

「無縁社会」などとも言われ、家庭を持たず、地縁・血縁の付き合いからも遠ざかり、必要なお金さえあれば支え合う相手などいなくても、それはそれで生きていくことが可能な世の中ではあります。中にはお金と時間が費やされる関係を積極的に整理してしまうという人もあります。

けれども独りであるということは、他者から煩わされることは少なくはなりますが、自分が困った状況に置かれたときに誰からも顧みられないということでもあります。

自身が健康でそれなりに忙しく、とくに望まなくても周りに人がいるようなときは、あまり寂しさなど感じないかもしれません。けれどもいつか、例えば病気をしたときなどは、如実に独身であることの寂しさに気付かされます。

部屋で寝込んでいても様子を気にしてくれる人も無く、病院で自分の代わりに受付けを済ましてくれる人も無く、入院に必要な着替えなどを自宅から持ってきてくれる人も無いという状況。「ご家族は?」とか「お一人ですか?」と尋ねられる場面も必然的に多くなります。

突きつけられる独身の現実と、拠る辺のない寂しさ。独身は確かに気楽な部分もありますが、それ以上に孤独で寂しいものだと思います。

 もしも今あなたが独身を寂しいと感じていて、結婚の、いわゆる適齢期を過ぎてしまっていたとしても、後悔は何も生みません。どれだけ悔やんでみても、過ぎた時間を取り戻すことはできません。であれば今日からの一日一日は後悔に淀むことなく、前向きに出会いを求めてくべきです。

 

寂しさの本質

テレビ出演も多い解剖学者の養老孟司先生は、著書の中で

「人のすることは全て脳がやっている」

と述べられています。また、子供の心の発達について長く研究された元・国立京都病院医長の石田勝正先生は

「脳は関わりあいのためだけにある」

とも述べられています。

さて、以上のお二人の言葉を「脳」というワードで結びつけると、

「人は関わりあいのためだけに在る」

という言葉が出来上がります。私達が関わりを望もうと望むまいと「脳」はその機能として常に関わりを希求するという見方ができるのではないでしょうか。

これらの言葉について考えていて、私は「暴走族」のことが頭に浮かびました。あの騒音や危険走行は周囲にとっては迷惑なだけですが、彼らはそれで高揚感を得て、存在感覚を満たします。

あえてルールを無視して周囲に不快感をばらまく「負」の関わりですが、脳はそうまでして関わることを求めるという象徴的な事例であるように思えます。

この項では独身の方が感じている「寂しさ」について考えていますが、その本質は、私たちが「関わりを求める生き物」でありながら「関わることが上手く出来ていない」ことの「潜在的な欠乏感」なのではないかという気がします。

他の猫を舐めてあげている猫

人間以外の動物たちも関係的に暮らしています

人と関わることに苦痛を感じる自閉的な方でも、孤独が楽かというとおそらくそうでもなくて、ネット空間に居場所を求めたりするのは、やはり関わらずにいられない脳の性質を現しているのではないでしょうか。

誰からも顧みられない寂しさは本当に辛いものです。それは存在しないにも等しい状況ですから、生きていることの意味が分からなくなって自死を選択したり、あるいは無差別に人を殺傷するような事件を起こしたりする人の背景にも、そうした寂しさが横たわっているように推察します。

そうしてみると「寂しい」という感情は、私たちの潜在意識が発している危機的なシグナルであるような気がします。どういう形であれ「関係性」というのは必要不可欠なのだから、あまりに不足していては危険ですよという注意信号です。

 

(参考文献)

「バカの壁」 養老孟司 著

「抱かれる子どもはよい子に育つ―こころをはぐくむ愛の心理学 」(PHP文庫) 石田勝正 著

私達は潜在意識に操られている

例えば子供の頃に両親の愛情を受けることができなかった方や、人との関わりの中で酷く傷ついた経験のある方などは、人と話さなければいけない時に病的に緊張したり、人と関わることを敬遠してしまったりします。

また、何か失敗したときに自分の非を認めて素直に謝ることができなかったり、自己弁護が過ぎて周囲の信用を失ってしまったりもします。

あるいは「他人より目立ちたい気持ちの強すぎる人」や「自画自賛の盛んな人」も、内向的な前者とは異なりますが、やはり過去に顧みられなかったことの反作用として、自己顕示欲や自己承認欲求が強まるといったこともあります。

以上のように人と関わることに苦痛を感じる方や、何故か周囲から敬遠されてしまうという方は、過去の辛く寂しい経験が「潜在意識の痼(しこり)」となっていて、その影響を受けて意図せず癖づいた行動をとってしまっている場合があります。

そうしてみると「潜在意識」は、私たちが言うところの「心」と同一のもののような気がします。

これまで人との関係性を妨げて、あなたに生きにくい人生を歩ませてきた遠因は、潜在記憶に刻まれた、自分でも思い出せないような過去の体験かもしれません。

それが核となって、人との関わりに傷つくたびに、心の痼はさらに固く大きく育ち、あなたの行動に影響を与え続けて来たのではないでしょうか。

潜在意識を氷山で表現したイラスト

「潜在意識」はさまざまな経験が蓄積されているデータベースのようなものです。

私達は何か行動をする際に全て自分の「表在意識」によってコントロールしているつもりでいますが、実際は絶えず潜在意識の影響を受けています。

「頭ではわかっているのに気がのらない」とか「嫌な予感がする」とか、皆さんも日頃から経験されているのではないでしょうか。

私達の人間関係に支障をもたらす潜在意識の影響力は、根拠が不鮮明で捉えどころのない「情動」として意思決定に関与します。情動は定義の難しい言葉ですが、ここでは「不安」「怒り」「悲しみ」「喜び」などの動的な感情として扱います。

例えば「頭ではわかっているのに気がのらない」という状況は、こうした情動がブレーキとして働いている可能性が大きいです。

「なんでいつもこんなふうになってしまうのだろう・・・」

そんなふうに人生の選択を後悔することの多い方は、一度自分の中の潜在的な「もう一人の自分」と向き合ってみる必要があります。

いくつもの体験に根ざしながら潜在意識に染み付いた意思決定の癖。容易に矯正できるものではありませんが、自分の性質として意識の表に据え、常にコントロールすることを心掛けていれば、やがて改善の道もひらけてきます。

そして、その自己矯正のための唯一無二とも言える方法が「習慣化」です。

 

習慣化で潜在意識による支配を克服する

良い出会いさえあれば結婚したい気持ちでいたのに、結局今日まで独身のまま過ごしてきてしまったと、過ぎた時間を後悔されている方は少なくないと思います。多くの人が自分も30代までには自然な出会いがあって、結婚して子供が生まれて・・・という風にイメージしつつ、いつのまにか40代を迎えています。

かつての日本には個人情報の保護どころか、プライバシーなどお構いなく他人の世話を焼く人が沢山いて、若者が独身でいる自由を侵害しまくっていました。私たち昭和世代の父や母はそうした環境の中で結婚をし、子を生して家庭を営んできました。

でも、現代のように「他人が個人のプライバシーに干渉することを病的に忌み嫌う社会」には、もう「世話焼き」の暗躍する余地はなくなりました。

もっとも、自身を取り巻く状況、例えば職業的なことや家庭の事情などによってタイミングを逸してきたという方もおられるでしょうし、身体に不自由があって結婚は半ばあきらめてきたという方もおられます。独身の背景は十人十色、とてもひとくくりに語れるものではありません。

独りで部屋にいる女性

けれども、もし今あなたが独身を寂しいと感じているなら、今からでも本気でパートナー探しを始めるべきです。残された人生においては今日のあなたが最も若いのですから、もう後回しにするのは止しましょう。

出会いが交際に発展しないとか、そもそも出会いが無いということもあると思いますが、何かが変わらなければ同じ状況は続いてゆきますし、自分を変えられるのは自分だけです。

潜在意識の影響を受けて癖づいている自身の思考や行動のパターンを変化させるためには、例えば「木材の歪み」を直す時のように、一定期間矯正力を加え続けながら良い状態を癖づける必要があります。

つまりはその作業が習慣化です。人は良くも悪くも同じ行動を3週間継続すると、それが習慣づいてあとは無理なく行えるようになると言われています。

脳神経は同様の「刺激」に対して同様の「反応」が繰り返されるような場合には、情報伝達を効率化して反応のスピードを速めようとします。

よく「体が覚える」とか「体が反応する」というのは、繰り返され習慣化されることによって、そのつど判断をする必要がなくなり、「頭で考えなくても無意識に体が動く」という状態が生じるものです。

習慣化は脳の深いところに宿る「潜在的なもう一人の自分」による「悩ましい支配」を「顕在的な自分」が克服していく作業でもあります。

前置きが長くなりましたが、以下では独身を長びかせ人を孤独に追い込む要因のうち、内因的で特に影響が大きいと考えられる3つの因子を選択し、その後に習慣化によって改善していく方法を提案してゆきたいと思います。

 

出会いを阻害する3つの因子

阻害因子1.利己的な性質

客観的に見て明らかに他者との親密な関係を築き難い人というのは、総じて「利己的」な人です。「自己中心的」とか「自分勝手」といわれる人も同様です。婚活の場でみれば男性は女性の年齢や容姿に固執しがちですし、女性は男性の収入、職業など、何れにしても相手に対して理想の高いことが特徴的であるのは、自分が満たされたい願望が優先されていることの表れです。

利己性は人間に限らずあらゆる生命の基本的な姿なので、それを否定すると「何をきれい事を」と叱られそうですが、心地よい関係性というのは互恵的なものなので、お互いに与え合えることが大切です。それには与えられることを期待する以前に、相手を喜ばせたい、笑顔が見たい、守りたいといった思いが必要で、それに基づいた行動に対して返報性が働き、相互に愛情のやりとりが積み重ねられてゆきます。

とはいっても、例えば世の中の夫婦が皆そのように互恵的かというと、多分にそうではないのが現実です。出会った当初は良いとしても、人はやはり基本的には利己に流されやすく、自分本位な態度や言動が多くなってくると、やがて夫婦の関係も険悪なものになっていきます。

私たちはもともと豊かな「利他性」を持ちえる可能性を秘めていますが、その現れ方は遺伝的な要因や環境的な要因によって個人差があります。遺伝的な要因としては愛情や共感に作用するホルモン(オキシトシンなど)の多寡が挙げられますし、環境的な要因としては幼少期からの生活体験などが挙げられます。

では、他者を思いやれる心の発達は「生い立ち」で決まってしまうのかというと必ずしもそうではなく、不遇の幼少期を過ごしても愛情深い人はおられますし、休眠していた種子が発芽するように、私たちの利他性もまた状況に応じて発現します。

阻害因子2.コミュニケーション障害

「障害」などというとやや大げさな感じがしますので「苦手」ぐらいが適切かもしれませんが、私たちの主要なコミュニケーションツールといえばやはり「言葉」で、ほとんどの場合はそれを臨機に交換し合う「会話」によって意志疎通が図られています。

「臨機に」と書きましたが、言葉の選択というのは結構難しくて、会話の場で即興演奏のように的確な言葉をくりだす人を見ると、私などは感心してしまいます。

若者の間では「コミュ障」という略語が一般的になるほど、周囲と普通に関わることの苦手な人が多くなっています。

仲間にはいれずに独りぼっちでいる犬のイメージ画像

どんな場面で何を話せば適切なのか、言っていいのか悪いのか、考えれば考えるほど分からなくなって言葉が出ない。そして訪れる気まずい沈黙…。

私自身もそうした傾向があるのですが、会話が苦手というのはやはり出会いの場では死活問題です。

会話の上手な人を観察すると、その傾向はおおむね2通りで、自分の手持ちの話題を次々に繰り出し周りを巻き込んでいくタイプと、リアクションの適切な聞き上手タイプがあるように思われます。

前者はそもそもが陽気で頭の回転が速く、話題はともかく場を賑やかにする人です。天性のものがあるので誰でも真似できるというものではありません。

それに対して後者は、努力次第ではどうにか真似できそうです。とはいっても無理は続かないので、相手の話を聞くことに軸足を置いた会話が普通になるように、ぜひ習慣化で自分のものにしていきましょう。

阻害因子3.内向的な性格

ここでは内向的であることを阻害因子として取り上げますが、あくまで出会いの機会を得やすいかどうかという観点からのお話しになります。

さて、日頃私たちが内向的とか外向的とか言う場合は、人物の性格を評価するような用い方をしますが、多くの場合は「外向的であるべき」というニュアンスが含まれています。

それに対して近年言われている「内向型」と「外向型」の区別では、人間の脳の働きや心理についての研究が進む中で、どちらが良いとか悪いとかではなく、得手不得手を自覚して得意な部分を活かす社会との関わり方をしましょうということが言われています。

殻に閉じこもっているイメージ画像

どちらかというと周囲に順応しにくい内向型へ向けられたメッセージである部分が大きいのですが、人と関わることが苦手な自身の性質を矯正しようと苦しむ必要はなくて、それよりも物事を深く掘り下げて考えられる素晴らしい性質をもっと自覚し、自信をもって社会参加していきましょうという趣旨での分類です。

内向的な人には内向的な人に向いた出会いの方法があります。自身の特性を活かし、あるいは補う習慣を日常に組み込めれば、きっと良い出会いの頻度も向上するのではないでしょうか。

さて、出会いを阻害する因子を3つに絞ってお伝えしてきましたが、以下ではそれらを習慣化によって改善し、出会いを引き寄せる方法をご提案します。

 

出会いをもたらす3つの習慣

習慣その1.利他的であること

周囲を見渡せば世の中は利己的な争いに満ちています。一方では災害現場へボランティアに赴く人々が在り、他人の痛みに共感して涙する人が在ります。そして多くの場合、人は利己的な人を嫌悪し、利他的な人を信頼します。

 周囲からの信頼というのは一朝一夕に得られるものではありませんので、付き合いの浅い相手にとって周囲があなたをどう評価しているかというのは、とても重要な関心事です。そうした点で、まずはあなたが利他的である必要があります。

助け合う人のイメージ画像

また例えば海岸清掃のボランティアに参加したとして、そこで出会う人達はおよそ善良で利他的な人々ですので、コミュニケーションの訓練を兼ねて親しくなることが出来れば、さらにその方を通じて出会いが舞い込むような良い流れが生じたりもします。

人生を伴に歩んでゆくパートナーとの出会いを望むとき、自身が利他的であることは不可欠な要素です。そして始めは心掛けて人を助ける行動や、動物愛護、環境保護など、何でもよいので自分以外の幸福を願う行動をし、そうした場で出会う人々と言葉を交わすことが本当に大切です。まずはそれが習慣にしたいことの1つ目です。

習慣その2.リアクション型の会話術

まず、会話に苦手意識がある方の場合は、無理をして自分が会話を主導しようとはせず、相手の話を良く聞くことを心掛けましょう。会話は話しを聞いてもらう側の方が心が晴れるものですし、相手が気分よく話題を繰り出してくれれば会話が苦手な側としては助かります。相手の話しに耳を傾けるときは、意識的に以下ようなリアクションを取り入れてみることをお薦めします。

・少し大きめの反応

・オウム返し

・否定するときはいったん肯定してから

のけ反りながら目を丸くして驚いたり、大きな口で笑ったり、リアクションの大きな人と話していると、人はそれだけで楽しくなってきます。自分の話しに大きく頷いてくれる人の存在は嬉しいものですし、そういう人とは再び会いたいと思うものです。きっと初めのうちは偽りの姿を演じているような後ろめたさを感じるかもしれませんが、実際に円滑な会話の場面を経験するにつれ、だんだんそれが自分のスタイルとして定着してくるはずです。

オウム返しは、例えば「今朝は寒かったですね」と言われたときに、「そうそう、寒かったですね」と反応するありがちな会話です。けれどもそれに続けて「あんまり寒くてタイツ履いてきちゃいました」とか付け加えると、「えー、タイツですかー」となって、「そうそう、網タイツ」「あったかくなさそー」とか、会話がつながっていきます。相手の発言を繰り返すことで肯定感を現しながら、関連づく次の言葉を探す暇(いとま)を得ることができます。

例えば少し深刻な話題で「母が病気で長いこと入院しているんです・・・」と言われたときに、「そうですか、お母さんがご病気で入院されているんですね・・・」と言いながら頭の中では次に言うべき言葉を考え始めています。「毎日様子を見に行かれるんですか?」「いえ、毎日でもないんですが、行ける時はなるべく」といった具合に、オウム返しを織り込むと会話が途切れにくくなります。

また、楽しい時間を共有したい場面ではあまり用いたくない会話術ですが、どうしても相手の意見を否定する必要があるときには、いったん肯定した上で自分の意見を述べるようにすると、相手の気分を害する割合が低くなります。

例えば「美味しい焼肉屋さんがあるんですけど、どうですか?」という提案に対して、「焼き鳥屋さんにしませんか?」と返せば相手は少なからず気分が冷めます。けれども「それは良いですね。でも牛肉がちょっと苦手で・・・焼き鳥屋さんはどうですか?」と言ったなら、相手もそれほど悪い気はしないのではないでしょうか。

以上のように相手の話しをよく聞いて、話題を展開させていくようなリアクションを習慣づけると、気まずい沈黙は避けることができるようになります。もっとも、会話の間に生じる沈黙も、必ずしも悪いものでありません。漫才のようにボケたりつっこんだりする会話もあれば、食事や風景を味わいながら、あるいは自分の心と向き合いながら言葉少なに語らう会話もあります。感性や感覚を言葉で表現しようとするときや、大切な思いを相手に伝えようとするときなどは、沈黙など気にせずに、誠実な言葉を探すようにしましょう。

習慣その3.文章的コミュニケーション

いわゆる「コミュ障」の人にも「内向型」の人にもお薦めなのが文章によるコミュニケーションです。時間をかけて言葉を選ぶことが出来るので、自分の言いたいことを遺漏なく相手に伝えやすく、対面での時のような緊張も回避できます。

文章でのコミュニケーションというと、近頃はLINEやFaceBookなどのソーシャルネットワークサービス(SNS)が普及し、応用しやすい環境が整っています。お互いに相手のことをよく知らないところから始まる出会いの現場では、はじめに対面ではないメッセージ交換からスタートできるSNSは利用価値が高いです。

沢山の人と繋がるスマートフォンのイメージ画像

また、婚活や出会いのためのネットサービスもたくさんあって、メールやメッセージの交換ができるものもあり、対面でのコミュニケーションが苦手な人が積極的に出会いのきっかけを得る方法としては有意義です。現在はスマートフォンでサービスを利用される方が多いので、「婚活アプリ」や「恋活アプリ」と言われるサービスが注目されますが、一方では詐欺や犯罪の温床となっている側面もあります。遊び目的の人間も多く紛れ込んでいるので、その点は十分に警戒心をもって利用しましょう。登録希望者に「身分証明書」や「独身証明書」の提出を求めるサービスが、完璧とは言えないまでも一定の安全性が担保されているのでお勧めです。

SNS等でのコミュニケーションでは、相手に不快感を与えないように幾つかの点で注意が必要です。以下に不快なメッセージの特徴を箇条書きにしてみます。

・短文で忙しく送られてくるメッセージ

・むやみに長文のメッセージ

・距離感の近すぎる馴れ馴れしいメッセージ

・「今何してる?」といったプライバシーに踏み込むメッセージ

・年齢にそぐわない絵文字やスタンプだらけのメッセージ

・深夜のメッセージ

・返信を催促するようなメッセージ

・不幸の手紙のような陰気なメッセージ

・おこちゃま言葉のメッセージ

以上は一例になりますが、SNSは対面でないだけに非常識に走りやすい部分もあるようです。先述した会話の場合と同様に、どちらかというと相手の発したものに対して距離感をわきまえたリアクションをしながら、共鳴する部分を探して行くような使い方が適切なのではないでしょうか。

 

〈まとめ〉

「出会いをもたらす3つの習慣」ということで、以下の習慣化を提案させていただきました。

1.利他的であること

2.リアクション型の会話術

3.文章的コミュニケーション

利他的であることは他者との親密な関係を築いていく基礎になる部分です。そこを固めた上でコミュニケーションにおける苦手な部分を自覚して補うことや、出会いの機会を呼び込む工夫を習慣的に行っていけば、遠からずあなたと同様に独身の境涯に寂しさや後悔を感じ始めている方との出会いがきっと訪れます。男女ともに40代・50代の独身者の多いことは国の統計にも示されていますので、あきらめる必要はありません。寄り添うべき人と寄り添える未来があなたに訪れますことをお祈りして、ひとまずこの項を閉じさせていただきます。ご一読ありがとうございました。

おすすめ記事: 【オンライン婚活】出逢いを効率化するマッチングサービス活用術

-出会い・婚活

Copyright© 30年を寄り添う人と出会う旅 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.