独身が寂しい人に出逢いをもたらす学びと行動

自宅から始める「30年を寄り添う人と出会う旅」

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「独身の孤独に耐えられない...」その深刻な寂しさが出会いを引き寄せた話

独りで佇む男性の画像

自分を映す鏡

その頃の私は5年間交際した女性に別れを告げられ、北陸の過疎の村で傷心の日々を過ごしていました。東京の職場で出会い、その後に彼女が田舎に戻って、後半は遠距離交際でした。

彼女の実家にも何度も泊めてもらって、いずれは翡翠色の日本海を望むその町で暮らすことを思い描いていました。

でも、5年目の冬に上京した彼女は何故かよそよそしくて、見送りの駅の階段を登っていく後ろ姿は、何か言いたいことを私に告げないまま帰路についた、そんな様子でした。

自動改札を通過する女性の画像

別れの気配を察した私は、遠距離交際を放置してきたことを猛烈に後悔しました。彼女の住む町に移住して仕事はどうしようかとか、動いてみるしか仕方がないことを、ただ漫然と先送りにしていました。

「もう手遅れなのかな…」と思いつつも、私は最後に誠意を表すつもりで東京を引き払い、彼女の住む町から車で1時間ほどの山村に移住しました。

それは1990年代の後半でしたが、意を決して行動に出てはみたものの、折り悪しく当時は「ストーカー」という言葉が世間に認識されはじめた頃でした。私は大切な人からそんな風に思われては耐えられないと思い、移住の際に手紙を書いたきり、それ以後は彼女に連絡を取ることを自制して過ごしました。

その年の夏に、彼女から手紙が届きました。便箋には縁のない土地で暮らす私を気遣う言葉と、いまは地元の男性と交際しているという報告が綴られていました。

察してはいたものの、あまりに辛くて考えないようにしていたことを現実として告げられてみると、私はやはり抑えがたい嫉妬と孤独感にさいなまれ、眠れない日々を過ごしました。

いてもいなくても誰も気にとめない透明人間。何処とも繋がっていない、宙ぶらりんで寄る辺のない存在。自分を映してくれる鏡を見失い、後にも先にも、あの時ほど自分の存在感覚が希薄になったことはありませんでした。

 

失恋の特効薬は…

居続ける意味も無くなった僻村での夏の終わりに、職場の向かいにある老人ホームの若い職員さん達の飲み会に誘ってもらいました。結論から先に言うと、その中の一人が現在の妻になるのですが、

「こんど、ドライブに行きませんか?」

そんな風に、4つ年下の彼女はお酒で少し顔を赤らめながら声をかけてくれました。

思えば子供の頃から寂しがりでした。幼稚園バスに乗って帰ってくる友達を待っていたときの風景が思い出されます。成人して都会に暮らしたときも、一人の部屋や人混みの中で、発作的に孤独感に駆られることがありました。

街の雑踏のイメージ画像

「もし次にこんな自分に好意を示してくれる女性が現れたら、その時は絶対に選り好みなどしない」

そう自分に言い聞かせていた矢先に職場に現れたのが先の彼女でした。結果としては5年の交際の果てに失恋のドン底に沈んだわけですが、その傷心に喘ぎながら、うなだれた頭を持ち上げた視線の先に、思いがけず新しい出会いがありました。

失恋の痛手から徐々に回復していく過程を一気に飛び越えて、私は次の休日に彼女の運転で海辺の観光地へドライブに出掛けました。晩秋には草津温泉まで紅葉狩りに遠出し、草津節の一節が耳に留まりました。

♪ 惚れた病も治せば治る(ア ドッコイショ)好いたお方とコーリャ添や治るヨ(チョイナ チョイナ)

そして山里が豪雪に埋もれる冬、毎日のように夜遅くまで私の部屋で寄り道していく彼女を、きっと両親は心配しているだろうと思って挨拶に行き、翌春には結婚式を挙げる運びになりました。

 

爆発で生じた「真空」

出会ってから7ヶ月で結婚に至った背景には、やはり失恋の反作用があったと思います。ダメージが大きかっただけに、心の内に生じた真空が、すべてを強力に引き寄せるブラックホールのように作用したのかも知れません。真の空(むな)しさです。

ヤケになって誰でもよかったというのではなく、改めて深刻な孤独を味わって、一生の内に沢山の人とすれ違っていく中で、自分の傍らで立ち止まってくてる人の存在がどれほど稀であるかを思い知ったわけです。

「こんな自分に好意を示してくれる女性が現れたら、その時は絶対に選り好みなどしない」

より確信を持ってその思いに立ち返ったことが、決断を潔くしました。

長男と長女の結婚には面倒な問題も色々あったのですが、勢いが勝ったというか、すべて引きずったままトライを決めてしまったような、そんな感じでした。

彼女の側に結婚を急ぐ必要は何も無かっただろうと思います。まだ25歳の若さでしたし、おそらく今となっては拙速だったと後悔しているのではないでしょうか。

結婚から10ヶ月後には長女にも恵まれ、子育ての愛らしさと騒々しさに、いつしか失恋の痛手は過去の記憶になっていきました。

 

独身の孤独が耐え難いと感じたなら

もし今あなたが独身の孤独について耐え難いと感じているのなら、それはあなたの側にパートナーを求める機運が熟したサインかも知れません。

本当の深い孤独は人を内省的にして、自分本位なパートナー探しを改めたり、誰かと寄り添うことの意味を考えたりするきっかけになります。

何にしても、深く深く考えたときにしか気付けないことや、痛い思いをしなければ矯正し得ない性癖などもあります。

きっと今あなたは次の出会いのために、謙虚な心を手に入れようとしているのではないでしょうか。或いはそれは既に備わっていて、与える対象が現れないことに葛藤を覚えているのかもしれません。「与える対象」はつまり「自分を映す鏡」です。

鏡を見る猫と映り込むイヌの画像

人に誇れるような学歴も、お金も、美麗な容姿も持ち合わせていない私ですが、結婚までには幾つかの交際を経験しました。でも、その始まりはいつも偶然の成り行きで、望んで得られたようなものではありませんでした。片想いが実ったことなどは皆無です。

「…絶対に選り好みなどしない」

私の場合は自分にそんな誓いを課したことで、結婚を意識する異性と出会うに至りました。いずれも恋愛の2歩か3歩か手前から始まった交際でしたが、一緒の時間を共有し、ケンカもしながら、次第に相手を大切に思うようになりました。

ですので、皆さんもこれからはうっかり素通りしてしまいそうな小さな出会いを大切にして下さい。世の中にはあなたと同じような孤独にさいなまれている同世代の男女が沢山います。それなのに出逢いがないのは何故なのでしょう?

確かに結婚生活というものは良いことばかりではなくて、2つの人格が寄り添っていくのは簡単なことではありませんし、互いに思いやりが維持できなければ、結婚していても孤独は同じです。

「人は二度死ぬ」という永六輔さんの言葉がありましたが、たとえ生きていても誰からも顧みられない状況は死んでいるに等しいと、そう感じていた時期が私にもありました。実際、寂しさが極まって自ら命を絶つ人もあります。

であれば、自分(自我)など死んだものとして、ただ出会えた誰かのために生きてみる「覚悟」も持てるのではないでしょうか。それが孤独を知った人の強みだと思います。

今の耐えがたい孤独は、きっとあなたが変化しようとしている「脱皮痛」のようなものだと思います。覚悟があれば遠からずあなたの真空に引き寄せられる出逢いがきっと訪れます。ぜひ諦めずに、自分を映すパートナーとの出逢いを果たして下さい。

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