独身が寂しい人に出逢いをもたらす学びと行動

自宅から始める「30年を寄り添う人と出会う旅」

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独身の老後に寂しい思いをしないための3つの準備とは

スキルアップのためにパソコンを見ながらメモをとる人のイメージ画像

 

細く長く稼ぐ(自分を養う経済力)

少子高齢化が世界史に類を見ない速さで進行している日本の社会補償制度は、団塊の世代が75歳になり始める2022年を境に深刻な危機を迎えます。水道や道路など公共インフラの老朽化も含めて、これまで国が後回しにしてきた課題が、とうとう2年後には顕在化の時を迎えます。

私たちがこれからを生きていく時代はそのように厳しい時代です。若い世代になるべく負担をかけないように、というか社会保障制度は今後あてにはできないので、老後においても自立した生活を営んでいくことが、否応なしに求められてきます。

大手企業においても副業が解禁され、就労所得以外に収入を得ることが奨励される傾向が見られています。それはつまり、独自に稼ぐ力をつけて社会保障に依存できない将来に備えて下さいという社会の要求でもあります。

40代・50代には、まだ学ぶ力が残されています。厳しい老後を経済的に自立して生きていくために、自身が興味を持って打ち込めるような分野で能力を磨き、収益化の可能性も探ってみましょう。   

ネット動画の作成機材のイメージ画像

 

趣味や技能で人と繋がる(生活を楽しむ)

いまこの文章を書き始めようとする私の頭に中には二人の方の姿があります。一人は女性で、年齢が80歳に近い現役の美容師さんです。ご主人は10年ほど前に亡くなられて、二人の息子さんはそれぞれ家庭を持ち、離れて暮らしています。

「現役の」とは言っても来客はまばらで、昔からのお得意さんが冠婚葬祭のときに着付けや髪結に訪れる程度ですが、忙しいときはアシスタントさんを頼んだりもして、「先生」と呼ばれたりしています。

先日も、「午前のお客さんが昼までお茶飲みをしていって、午後のお客さんも今までお茶飲みをしていて、やっと帰ったところ。確定申告の準備もしなくちゃいけないのに」と笑って話していました。

職能においても趣味においても、「先生」と呼ばれるぐらいにその領域に通じている人は、老後も周囲に人が絶えず、いわゆる孤独とは遠いところに居られるようです。 でも、夕食を一人分だけ準備するときには、「作り過ぎると食べきれないし、ついつい残り物で簡単に済ませてしまうんです」と、少しだけ独りの寂しい情景が垣間見られるお話しも聞かれていました。

もう一人の方は男性で、やはり年齢が80歳に近い建築士さんです。地元の工業高校を卒業したあとに都会へ出て設計の仕事につき、郷里に戻って設計事務所を開いて現在に至ります。

結婚歴はなく、事務所を兼ねたお洒落な別荘のような住いで一人暮らしです。 二年前の秋に脳出血を患われて、右半身に麻痺の後遺症が残りました。設計の仕事にも右半身の麻痺は致命的でしたが、左手で書いたラフスケッチを設計図面を描ける方に清書してもらう形で、現在も仕事を続けておられます。

趣味の多い方で、屋内には暖炉型の薪ストーブが据えられ、いつもBOSEのスピーカーからクラシック音楽が流れています。図書館のように壁という壁が本棚になっていてかなりの読書家ですが、「いまはAmazonがあるでしょ。中古だと安く買えるし、便利な世の中になったもんだ」と、80歳に近い方としては若々しい感覚の持ち主です。

別荘のようなご自宅の画像

天気が良ければご自宅を囲む雑木林に積もった枯れ葉をかき集めて、挿し木で増やしてきたブルーベリーの根本に敷きつめます。ジャムの瓶詰めを作っては友人知人に振る舞ってきたそうです。「何をするにも病気をする前の3倍以上、時間と手間が掛かるね」と話されますが、私から見るとそうした作業に向かわれる意欲自体が凄いことのように思われます。

コーヒーもこだわりの店から取り寄せた豆を挽いてドリップして楽しまれています。近所のお婆さんがカボチャを持ってきてくれたときは「カボチャのスープをたくさん作って冷凍しておくんです」と話され、生涯独身を続けてこられただけに料理も自分でされている様です。不自由な体で、本当に感心させられます。

生活の行為の一つ一つも上手にやろうと思えばなかなか簡単ではなくて、それを自分で繰り返して工夫を重ねてきた人と、他人任せにしてきた人とでは、日々の生活の充実感に大きな違いが生じてきます。よく定年退職後に時間を持て余してしまう人もありますが、そうした部分が不足しているのだろうと思います。

生涯現役でいられる職業や趣味というのは社会との接点であると同時に、心を満たすエネルギーの流入口でもあります。仕事の出来に「ありがとう」の言葉を頂いたり、先の男性のブルーベリー栽培の例で言えば、黒々とした果実がたくさん実った姿には心躍るでしょうし、それを期待して作業に汗した後のひと時にも、手作りジャムを友人に振る舞って喜ばれた時にも、きっと心がエネルギーで満たされることでしょう。

職能や趣味の能力を培っておくことは、以上の点においても老後への備えとして非常に重要です。  

 

3.相照らし合うパートナーを求める(薪は独りでは燃えない)

以前に観て感銘を受けた映画で「タイマグラばあちゃん」という記録映画があります。岩手県の早池峰山(はやちねさん)の麓、「タイマグラ」と呼ばれる小さな開拓地に暮らした夫婦の物語です。

戦後まもなく、東北の未開の高地に十軒ほどの農家が入植し、けれども東京オリンピックの頃までにはほとんどの家が山を去って、やがてタイマグラに暮らすのは一軒の夫婦のみとなりました。 コメの育たない厳しい寒冷の地で、電気も水道も無い自給自足の生活。

映画の中で、老夫は二人きりとなった夫婦の暮らしをこのように喩えています。

「まぎはひとりっこではもえない」(薪は一本では燃えない)

私にはその言葉がとても印象的でした。たしかに焚き火は数本の薪が寄り集まってこそよく熾って炎を上げますが、引き抜いた一本を放置すると、やがて火は立ち消えてしまいます。現代人には決して思いつかない美しくて重みのある比喩です。

一人だと難儀してしまう作業が、二人だと難なく済んでしまうというのはよくあることですが、ともすれば立ち消えてしまいそうな一人と一人が、相照らし合うことによってその命を燃焼させることが出来るという、パートナーを得ることの本当の意味を、私はその映画から学びました。

焚き火のイメージ画像

 夫が亡くなって子供から山を下りることを勧められても、「ばあちゃん」は山での暮らしを続けました。畑を耕し、冬を越すための保存食を蓄えながら、毎日夫の遺影に話しかけます。 「脚のばしたままでごめんねぇ」 痛む膝を手で擦りながら、妻は遺影に微笑みます。

現代的な冷めた感覚では、誰かを愛したり心から大切に思うことは「暑苦しい」と嘲笑の対象になったりもします。けれどもそうした思いが相互に醸成されたときに、お互いの存在がかけがえのないものとなり、力強く生きることが可能になるのではないでしょうか。

40代、50代からのパートナー探しは簡単ではありませんが、同世代の独身者が多い事実は国の統計でも明らかになっています。きっと多くの人が独身に寂しさと将来への不安を感じているはずです。

「この人とだったら支え合って生きていけるかもしれない」

出会いに積極的であれば、そんな人と出会える日がきっと訪れます。ただし、スペック表を重視して自分の理想の条件に適う相手を物色するようなパートナー探しをしていては、まず状況は変わらないだろうと思います。

自身を省みることをせず、相手に多くを求めるような婚活は不毛です。 人は基本的に弱くて、ともすれば見過ごされてしまうようなちっぽけな存在です。それが愛し愛される存在になっていくためには、まずは自分が他者に対して愛情を与えられる存在であることが必要です。

自分の弱さを深く自覚し、相手の弱さに理解と思いやりを示せる人は、自ずと誰からも慕われます。いつか大切な人と幸せに暮らせる自分であるように、自分磨きも心掛けていきましょう。

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