今日、婚活に関する本を読みました。
結婚滅亡「オワ婚」時代のしあわせのカタチ(荒川和久 著 あさ出版 2019年)
インパクトの強い本のタイトルに興味をそそられて手にとったのですが、多くの統計データや独自のアンケートが豊富で、とても真実味のある内容になっています。過去から現在、そして今後の「結婚」を洞察する内容はとても興味深いもので、認識を新たにする部分も多くありました。
日本は実質的には一夫多妻制
この本では、例えば「時間差一夫多妻制」という言葉が登場します。著者の造語の巧みさに感心させられてしまうのですが、察しの良い方はすでに何のことか見当がついているかもしれません。
どういうことかというと、現代は人口統計的に見ても男性余りの状況があり、女性とのペアリングを果たせないまま生涯未婚を余儀なくされる男性が一定数生じます。その一方で、全体の3割と推定される恋愛の上手な男性が、結婚と離婚を繰り返している実態があり、著者はそれを「時間差一夫多妻制」と表現しています。
結婚適齢期の女性が、3割の「恋愛強者」である男性と複数名ペアリングされるということは、当然「恋愛弱者」の男性が結婚できる可能性はますます低くなります。
さらに20代後半から婚活を始める女性たちは、男性の「職業」や「年収」に強くこだわるので、年収が400万円以下の男性が結婚できる確率はさらに低くなるということです。
そして、女性の側にもやはり3割の「恋愛強者」が存在して、婚活市場における「ハイスペック」な男性はそうした女性達がいち早くさらっていくので、恋愛弱者の女性が年収条件に見合う男性と結婚できる可能性も相当に低くなるということです。
かくして男性においても女性においても、結婚したいと思える相手と出会うことが極めて困難になっているというのが現在の状況になります。
本の中ではそうした現実を踏まえた上で、超ソロ社会(多くが単身世帯となる社会)をどう生き抜いていくかという部分を主に解説していますが、詳しい内容はぜひ実際に本を手に取って著者のメッセージに触れて頂ければと思います。
さて、ここからは表題の件に移っていきたいと思いますが、以上のように婚活を取り巻く環境は今後ますます困難な状況になってゆきます。さらに年齢が進むほどにパートナーとなり得る異性と出会える可能性は低くなるので、「出会いがない」とか「恋愛の仕方を忘れた」と感じる人も多くなっていると思います。
そこで以下では「恋愛弱者」を自覚する30代後半から40代以上の独身男女が、婚活競争から距離をおいて結婚する方法について考えていきたいと思います。
出会いを遠ざけているものを意識する
私達は日々あらゆる願望を抱きながら、それをただ漠然と願っている気がします。何かと問題を先送りしてしまう「後回し癖」は私自身も克服できずにいる悪癖ですが、本気で叶えたいならばもっと真剣に知恵を絞ったり、行動を見直したりすれば良いものを、それがなかなか出来ません。
けれども、そうしているうちにも人生の時間は刻々と過ぎていきます。後でどれだけ悔やんでも、無為に過ごした今日を取り戻すことは出来ません。まして結婚に関しては、年齢が進むほどにハードルが高くなるという現実もあります。
とは言っても、するべきことが見えていなければ行動もできませんし、気まぐれに何かをしてみても、成果が得られずに自信喪失が深まるばかりです。そこで先ずは出会いを遠ざけているものを可視化して、それを取り除く方法について考えてみましょう。
年収の壁
女性がパートナーに求める条件で特に譲れない部分が経済力で、「年収」がそれを推し量る指標になります。先に紹介した本に示されている統計によると、一般的には400万円が最低ラインだそうです。つまり年収がそれ以下の男性は、女性の側におけるパートナー探しの一次選考で除外されてしまいます。
となると「ああ、やっぱり自分は駄目だ」と落胆する男性もおられるかと思いますが、そこで諦めてしまっては先がありません。周囲を見渡せば世の中は常に変化していて、近頃は副業が奨励されるようにもなってきています。
以前「金持ち父さん、貧乏父さん」という本が話題になり、その本に触発されてビジネスを成功させた方も多くおられますが、賃金労働に従事するだけでなく、小さくても良いので自分のビジネスを持ってみるというのは、今後の人生への備えとしても有意義です。
仮に月3万円であっても副収入を得るのは簡単な事ではありませんが、独身の環境はそうした努力に費やす時間を確保する点では有利です。ただしネット上に転がっている儲け話の8割は「再現性の低い詐欺教材」や「会費を吸い取られるだけのコミュニティ」で、「簡単」を謳うものほどその傾向が強いので、その点は細心の注意が必要です。
また、「生活の経費を減らす」という方向性も考えられます。端的に言えば「自給自足」ですが、現代に暮らす私達は、便利さの中で生活技術が末期的に退化していて、とかく面倒なことは専門家に依頼するか、物品を購入するかしてお金で解決しようとします。その点、近頃はDIYを楽しむ方が増えていますが、人任せに甘んじないで自分でやってみるというのは良い傾向です。
田舎に暮らしてみると出会う機会が多いのですが、会社勤めをしながら田畑を耕し、耕作機械や乗用車の整備も自分でして、家屋の修繕もできてしまうようなお父さんが実際にいます。同様にお母さん達も田畑で食べ物を自給し、私達がお金と引き換えに手にしている味噌や梅干しのような食材なども手作りするので、他者の手間や技術を買うような生活コストがあまりかかりません。
もちろん自分の時間と労力を投資する必要はありますが、そこで得られる広範な経験や生活の彩りによって人は奥行きを増し、判断力を身につけてゆくのではないでしょうか。
タイム・イズ・マネーと言われますが、沢山の課題を処理する為には技能者の能力をお金で買うほうが効率的な場合もあります。そんな時も自分でやってみた経験があれば、その対価が適切かどうかの見極めも利きますし、悪徳業者の被害に遭うことも予防できます。
そうしてみると、生活技術というのはお金に換算できる要素で、個人の生活能力を測る際には、年収と並べて評価されるべきだと思います。
生活能力
パートナーとの出会いを求めるとき、とくに女性の場合はそうした視点を取り入れて年収条件を下方修正できれば、思いがけず伸びしろの期待できる男性が視野に入って来るかもしれません。そして男性の場合は、あらゆることに経験値を高めておくことで、女性に頼れる印象を与えることが可能になるのではないでしょうか。
年収へのこだわりや低収入のコンプレックスはなかなか越えがたい壁ですが、以上のように障壁を低くできる可能性はあります。そのことは心に留めて出会いの場に赴きましょう。
「幸運の女神には前髪しか生えていない」といいますが、チャンスは通り過ぎてしまってからでは捕まえることができません。幸運の女神を素通りさせてしまわないように、心掛けて準備をしておきましょう。
容姿の壁
年収の次に、これは男女共にこだわる人の多い要素ですが、容姿の良し悪しという問題があります。
これについては相手を評価する側が設ける壁と、自ずから設けてしまう壁があって、容姿による障壁はそれらの和として立ちはだかります。
容姿にコンプレックスを抱えながらの婚活は、あたかも深い穴の底から地上の壁を見上げて途方に暮れているようでもあり、相手の理想を変えることはできませんが、自らのコンプレックスは自分次第でどうにか整理できる可能性があります。まずは穴を埋めることを考えてみましょう。
コンプレックスについて私の体験をお話しします。私は中学生の時に目を患い、片方の目を摘出しています。そのため義眼を用いていますが、やはり見た目の違和感はどうにもなりません。大概の人は気遣いがあってそれをあえて指摘したりはしませんが、無邪気な子供達は「目が変だ」と普通に言いますし、悪意のある人から目のことを口汚く揶揄されたこともあります。
そんな具合ですので、容姿のコンプレックスとは長い付き合いになりますが、高校生の頃の朝礼で、教頭先生がこんな話しをしたことがありました。先生は体育館の壇上で600人ほどの生徒をにこやかに見渡し、
「私は皆さんぐらいの頃に背の小さいことをすごく悩んでいました」
と打ち明けました。そして、ある日ふと
「自分が気にしているほど周囲は自分のことを気にしていない」
ということに気付いて、それからは背丈のことで悩むのを止めたという内容でした。
おそらくそれは生徒達の自意識過剰をたしなめるメッセージだったと思いますが、その言葉が私には「見た目や他人の評価など気にしても仕様がない」という意味で受け止められて、今も時々思い出しては励まされています。
目を患った話をしましたが、私はかつて盲学校に在籍したことがあって、そこでは目の見えない方も普通に恋愛をしていました。彼らは声の質や話し方、言葉の選び方に相手の人間性を感じ取って恋愛感情を育みますが、それだけの情報でも人は恋をすることが十分に可能で、それは私達も一緒です。文通相手に恋い焦がれる人だって、かつては普通にいました。
とかく私達は見た目の印象で相手を選り好みしがちですが、見えることで見えなくなるものがある気がします。人には視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感があって、さらには第六感と言われる不思議な能力が発揮される場合もあります。第六感について ウィキペディアでは以下のように説明されています。
第六感
もしも私たちが生涯寄り添える最良の相手と出会おうとするなら、「視覚」からの情報は「ノイズ」に近いものかも知れません。容姿に惑わされて二股をかけられたり、詐欺被害に遭ったりということが非常に多くあります。
幕末の英傑として知られる坂本龍馬は「刺客に狙われているからあまり出歩かないほうが良い」と身を案じる仲間の忠告に、「身体は魂が行動するための道具なのだから、道具をいたわるあまり魂が行動できないとすれば本末転倒だ」というようなことを言って東奔西走をを止めなかったそうです。
容姿は身体の形状です。私達の魂は用い方次第では素晴らしい仕事を成し遂げたりもしますが、それが収まっている身体の形状によって行動が自制されてしまうとすれば、それはとても勿体ないことです。
もしも自分の魂が、容姿についてのコンプレックスに縛られて自由な活動を抑制されていたなら、まずはそれを解放しましょう。「容姿など道具の形状」と、坂本龍馬になったつもりで頭の中から丸めて捨ててしまいましょう。そして他の人を容姿で選り好みすることも止めましょう。目をつむって心を澄まし相手の声や話し方に耳を傾けてみれば、きっと第六感も働いて、本当に大切な人を感じ取ることが出来るはずです。
不寛容の壁
人が年をとるにつれて頑固になるというのはよく言われることです。自分の正論だけが正論であるかのように他人の考えに否定的で、かたくなになる傾向が確かに老人には見られます。
「老害」などとも言われていますが、けれどもそれは老人ばかりの特徴ではなく、近頃は若者もネット上でむやみに正論を振りかざし、他者批判を繰り返す人が多くなっています。
とかく批判の多い人というのは自分に何も無い人が多く、その正論自体も受けうりの軽薄なもので、批判をすることで自身の存在感覚を満たしています。
自己承認欲求とも言われますが、潜在的なところで欲求を満たす行為は無意識な「癖」として表出しやすいので、批判的な話題の多い「不寛容」な人は、パートナー選びの観点では敬遠すべきです。また、自身の不寛容を自覚できていない場合もあるので、婚活が不調な方は自省してみましょう。
そもそも結婚生活には「寛容修行」のような側面があり、寛容でなければ他人同士が一緒に生活することなどできませんし、子育てもできません。
よく「店員さんへの尊大な態度で相手を見限った」というような話も聞かれますが、そうした不寛容な印象をわずかでも相手に与えてしまうようでは、パートナー探しは永遠に成就しません。
出会いを求めるとき「不寛容」は致命的な欠点です。そして「寛容」であることは一朝一夕に成るものではないので、ぜひ普段から「使う言葉」や「話題の傾向」には注意を払い、誰にも寛容でいられるように心のバッテリーを充電しておきましょう。
機会の壁
「出会いの機会がない」というのはパートナー探しにおいては永遠の課題です。かつてのようにお見合いの世話を焼いてくれるような人がいなくなった今、出会いの機会は自分の足で探さなければ得られないものになりました。
職場で出会うようなことは今後もあるかもしれませんが、座して待っているのではなく、やはり確率を上げるためには積極的に出会いの場を探して赴くことをするべきです。
いちばん良いのは「共通の趣味」を持つ異性と出会える可能性のある場所を見つけることです。会話の話題にも困りにくいですし、サークルなどであれば定期的に顔を合わせることも出来ます。
スポーツ、合唱、釣り、登山、歴史探訪など何でも良いのですが、自分の属性を考えて興味をもって楽しめる場所を見つけましょう。
注意しなければいけないのは、パートナー探しの目的だけでさほど興味のない場所に参加してしまうと、話題についていけなかったり、こちらの意図が見透かされてしまったりして不興をかいます。あくまで自分が興味を持って探求できる分野で、なおかつ異性と出会えるという条件を満たす場所を選ぶようにしましょう。
さて、ここまでは概ねアナログな出会いを想定して話を進めてきましたが、現代では婚活アプリや結婚相談所のシステムなど、ネットを活用したパートナー探しも主流になりつつあります。
けれどもそうしたサービスはとても強力なツールではあるのですが、結婚詐欺や性犯罪などに悪用されることも多く、実際に金銭を搾取されたり、ポルノビデオに出演させられたりという被害が多発しています。
サービス提供者側での対策も取られてはいますが、邪な人間の悪知恵も常に進化していて、人の深層心理を逆手に取った巧みな手口でターゲットを罠にはめます。犯罪者の手口などについては当ブログの別記事で記述していますので、よろしければ合わせてご覧ください。
関連記事: 結婚詐欺師がなぜモテる?見極め方と「普通にいい人」脱却のヒント
以上のように婚活アプリなどの「出会い系サイト」の利用には十分な注意と警戒が必要ですが、サービスの仕組みをよく理解し、犯罪者の手口などについて知識を深めた上で活用することができれば、出会いの確率を飛躍的に高めることができます。
アナログな手法は行動範囲や時間の制約をうけますが、メールやチャットなら自宅でパジャマでいても活動できてしまうので、交際の前段階として複数の相手と並行して連絡を取り合うことも可能になります。さらに実際の対面は予め最低限のマッチングを済ませてからになるので、交際に進める可能性も高くなります。
婚活アプリは本当にたくさんあって選択に困ってしまいますが、サービスによって登録者の年齢層に違いがあったりするので、まずは対象となる世代の異性が多く登録しているサービスを選ぶのが大事なポイントになります。
婚活のためのアプリ選びは気軽な出会いを求めるものではなく、独身証明や身分証明などが必要な、しっかりと結婚を想定したサービスを厳選するべきです。それによって遊び目的のいわゆるヤリモクや結婚詐欺師に引っかかるリスクをある程度軽減できます。ただし、それが油断になる場合もあるので、自身でも二重三重の警戒は怠らないようにしましょう。また、安全なサービスはそれなりに利用料もかかってしまいますが、漫然と続けるのではなく、サービスを賢く使いこなし、短期集中で成果を得ることを目指しましょう。
30代後半から40代、50代以上の方を想定した場合、離婚歴のある方も対象に含めるとマッチングの可能性が広がります。シングルのママやパパもおられますが、これからの時代を担っていく子供達を一緒に育んでいこうという気概のある方であれば、さらに出会いの可能性は高まります。
婚活マッチングサービスの中では「マリッシュ」がそんな年齢層の高めな方や離婚歴のある方、子育て奮闘中のシングルの皆さんにも配慮のある対応がなされています。
費用をあまりかけずに始められる婚活アプリに対して、概ね30万円前後の初期費用のかかる結婚相談所のサービスは、そのぶんだけ危険も少なく安心して利用できますが、相手に求める条件がシビアになる傾向があり、成婚を難しくしているようです。
とくに女性の場合ですが、相手の年収に対しての条件を少し緩めて間口を広くしておくと、生理的に受け入れやすく居心地のいい男性と出会える可能性が高まります。
年収は今後の努力次第で増やしていくことも可能ですので、繰り返しになりますが、伸びしろの期待できる男性を探す目線を持つことが、競合から離れて選択肢を拡げる妙手になります。結婚相談所のサービスについては以前の記事で詳しく書いていますので、よろしければ合わせてご覧ください。
関連記事:【婚活アプリ】40代からの婚活を効率化するマッチングサービス活用術
結婚に恋愛は必要か?
戦後にベビーブームと言われた時期がありましたが、そのとき生まれた人達のほとんどはやがて結婚し、第二次ベビーブームをもたらしました。
その頃の結婚は、もちろん自由恋愛によるものもありましたが、まだ家と家との縁組みや、世話焼き人の引き合わせによる結婚も多くありました。
例えば地方の町会議員などにとっては、あちこちに縁談を持ちかけて仲人をし、夫婦とその両親に恩を売っておくのも選挙で得票を増やすための有効な手段でした。
恋愛はよく熱病に例えられますが、熱くなって結婚し、やがて冷めてしまうと何に熱くなっていたのかよく解らなくなるということがあります。
一方で周囲によってお膳立てされる結婚の場合は、見知らぬ者同士が引き合わされたりするわけですが、両親を含めた大人達の合意で話が整っていくので、成婚となれば地ならしが済んだ状態からのスタートです。
恋愛を経てはいませんが、それでも一緒に暮らす中でお互いに思いやりがあれば、次第に支え合う伴侶として、互いを大切に思うようにもなります。アニメ映画「この世界の片隅に」のすずさんの結婚がそれに近い感じです。
恋愛は必ずしも結婚の前提条件ではありません。むしろ旧式の「お見合い婚」の方が、結婚後に生じがちな問題をあらかじめ解決できる部分もあり、恋愛を経ていないことが夫婦として長く寄り添って行くことの支障になるということはありません。
「恋に恋する」という言い方がありますが、恋愛は確かにドラマチックで切なくて、人生の季節に彩りをもたらします。
とくに女性は純愛に憧れを抱く傾向があって、女性が能動的に結婚に向かう際には、本来はそうした強い恋愛感情が必要なのかもしれません。
昨日のネットニュースが伝えていましたが、朝の情報番組に特別出演した山崎まさよしさんの「One more time,One more chance」の生演奏に、司会の水卜アナが涙ぐんでコメントできなくなってしまう場面があったということでした。やはり純愛のストーリーは、それほど人の感情を揺さぶるものなのでしょう。
とはいえ簡単に結ばれないところが純愛の前提のようなところもあり、かたや結婚生活は「所帯染みる」という言い方もあるようにかなり現実的なものです。
以上のように「恋愛と結婚」には「理想と現実」のような落差があり、それがなるべく平坦であるほうが結婚生活は長続きするのかもしれません。つまり結婚を成功させるには、理想を現実に寄せること、恋愛よりも「相性」を重視するようなアプローチが必要なのではないでしょうか。
まとめ
「恋愛の仕方を忘れた」と感じられるとき、その理由は恋愛の対象となりえる人が周囲に少なくなっているのかもしれませんし、あるいは相手をスペックで評価することが癖づいてしまって自ら門戸を狭めている場合もあると思います。30代後半からの「晩婚活」では特にそうした傾向があるのではないでしょうか。
恋愛は結婚の前提条件ではありませんが、いざ結婚を決断しようというときには勢いも必要で、その点では恋愛で冷静な判断ができなくなっているぐらいのほうが上手くいくのかもしれません。
けれども晩婚活の場合は若いカップルが結婚するのとは違い、どうしても相手に求めたいものが多くなりがちです。一方で次第に周りは既婚者で埋まってきますし、自身もシビアな評価を受ける立場になるので、結婚への逆風は強まるばかりです。
冒頭で紹介した本に示されている統計や著者の分析を参考にすると、今後多くの人が同じような状況に陥りながら結婚の機会を逸失してゆきます。まさに「結婚滅亡」です。
でも、独身を寂しいと感じ、互いを照らしあえるようなパートナーが必要だと感じている人には、出来れば素敵な出逢いを叶えて頂きたいものです。
それには相手に多くを求める婚活の風潮から敢えて離脱し、これまで死角に隠れていた運命の人の存在を視界に捉えることが必要になります。
3割の恋愛強者がなぜモテるのかというと、経済力や容姿の美しさもありますが、本質的には相手の存在感覚を満たしてあげられるかどうかという点が重要です。
例えばギャンブラーで暴力も振るうような男から離れられない女性が「この人は私がいなければ駄目になってしまう」と思っていたとすると、ギャンブル男は女性の存在感覚を満たしていることになるので、周囲が離別を促したとしても、結局女性は男と居続けることになります。あるいは手っ取り早く金銭で満たされたい人もありますし、配偶者の美麗さを周囲から羨まれることで自分の存在感覚を満たす人もあります。つまりモテる人というのは、そのような相手の存在感覚とか承認欲求を満たしえる人です。
ではそうした資源を持ち合わせていない場合はどうしたら良いのでしょう。
それは自分がどのように扱われたら存在感覚が満たされるだろうと考えてみると分かります。
以前、初対面の人から「はじめまして」と笑顔で握手を求められて、意外にそうした機会はないもので、一瞬戸惑ってから握手に応じました。
私はそのスマートなコミュニケーション能力にとても感心してしまったのですが、と同時に握手の持つメッセージ性に気付かされました。言葉にすれば「私はあなたに会えたことを喜ばしく思っています」という意思表示なわけで、握手を求められた側はかなり自分の存在が肯定されていると感じます。
特別にお金持ちでなくても、人目を引くような美しい容姿を持ち合わせていなくても、人と出会えたことを喜ぶことはできます。さらに相手を特別な存在として大切に接すれば、やがて相手にとってもあなたが特別な存在になってゆくというのは、十分にあり得ることです。
過剰でも不自然ですし距離感にも注意が必要ですが、まずはそんな風に相手の存在を肯定し、そして同じ時間を共有できることを喜ぶアプローチから始めてみてはいかがでしょうか。ぜひ積極的に出会いの場に赴いて試してみてください。きっと良い結果が得られると思います。
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